親の介護はそろそろ卒業かもしれないの話し

年が明けた
元旦だ

お昼までに弟は実家にやってきてくれた。

弟に母の介護を託し、私は大阪に住む次男の家へいく。

今日は長男夫婦も合流し、楽しい新年会を過ごす予定である。

2日の朝を梅田のホテルで迎えた。

昨日の楽しかった余韻を残しながらも、
能登地震・飛行機事故の痛ましい映像に目を細めつつ。

朝7時半頃、弟から電話

「母さん、転けて足折って入院したわ」

元旦の深夜、正しくは1月2日の未明にアクシデント

母の事故を伝える声は、嬉しげであり、安堵しているかのようにも聞こえた。

私も、淡々と喋る弟の声を聞きながら、

「そうなんだ、骨折して入院したか」ぐらいで、親の重大事にもかかわらず動揺はなかった。

横でこのやり取りをきいていた妻。

(いつも弟との電話はスピーカで話している。実家のことなので妻にも一緒に聞いてもらった方が都合が良いから)

「二人とも母親が入院したっていうのに、心配するより嬉しそうに聞こえたわ」と茶化す。

おそらくその通りだろう。

私の脳裏には一瞬にして、
93歳→認知症→足の骨折→歩行困難→要介護2又は3→施設入所→介護から開放

という図式が駆け抜けた。

アクシデント

弟とは、元旦のお昼前に母の介護を交代した。

事件はその日の深夜に起こった。

3時前頃に階下から母親の悲鳴が聞こえたそうだ。

(母親は1階の寝室で、弟は2階で寝ている)

かけ降りてみると、母は洗面所で倒れ込んでいたらしい。

起こそうとすると悲鳴を上げるため、持ち上げることができない。

痛がりようが尋常ではなかったようで、救急車を要請しそのまま入院となった。

診断は大腿骨の骨折ということだが、部位や重症度など細かなことは伝わってこない。

しかし、今後歩くことはもう無理だろうと私の脳は言っている。

このまま病院から施設入所になると確信した。

約1年前から母親の介護のため、実家に泊まるようになった

実家の近隣市内に住む弟と交代で介護を始めた。

介護を始めた頃は認知症もそうひどくは無く、世話は大変だが何とかやってこれたと思う。

でも半年もすると認知症の進行とともに介護の負担は少しずつ重くなっていった。

負担を軽くするために、嫌がるデイサービスを、週1回から、2回に、そして3回に増やした。

さらに進行が進み出し、食べるか寝ているかの生活が続き、とうとう昼夜逆転してしまった。

夜中、物音があるたびに目が覚める生活になった。

そうだ、介護環境を変えよう

今までは、私(熊本在住)と弟(近隣市内在住)は2,3週間で交代していた。

今年からは、1週間で交代しデイサービスも1日増やして週4日の契約をした。

さらに転倒防止のため、玄関に手摺の設置も依頼していた。

やる気満々で手を打っていたが、アクシデントによりあっけなく白紙になった。

今回

母にとって、骨折・入院・手術と本当に気の毒だと思う。

もう二度と家には帰れないことになるのは可哀想だと思う。

でも私と弟にとって、
これで介護が終わるかと思うと、ついつい嬉しさの方が勝ってしまうのです。

骨折したことで、母の介護は家族のできる範囲を超えていると感じます。

親不孝でごめんなさい

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エコ
主に旅行に行った先の景色を撮りました。
いろんな所に面白いものが沢山ありました