高齢夫婦がお散歩で熊野街道を行く 上宮〜住吉大社
我が家では、お互いの健康増進を目的に(運動するのは大変なので)毎週火曜日を「お散歩の日又は、遠出する日」と決めています。今週の火曜日があいにくの雨だったので、時間が自由な夫婦は、お散歩を水曜日にずらしました。
今回の目的は、歴史を尋ねるです。
《 目 次 》
熊野街道の一部の区間、上宮から住吉大社までのコースを歩きます
熊野街道は、京都から熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へ詣でるために利用された街道です。
昔は、京都の伏見から大坂までは淀川を三十石船で往来していました。
三十石船は、現在の天満橋に着きます。その船着き場は、船宿が八軒あった事から八軒家と言われるようになりました。
熊野街道はそこを起点として、熊野三山へ続く街道です。
三十石船は、森の石松が、金比羅宮に刀を納めて帰りの道中、大坂見物をした後、乗船して京都に向かった船です。
「鮨食いねえ……」のエピソードのある船ですね。
今回は、八軒屋からでは無く、谷町9丁目近くの上野王子跡から住吉大社までの約7kmを散策しました。
上野王子跡を見つけるところから始まります
上宮高校近くのマンションの一角に碑を見つけました。注意して探さないと見つからないほど目立ちません。(・o・)
上野王子跡から、西に少し戻ったところで熊野街道に戻り左折して、四天王寺に向かって歩きます。丁度正面にあべのハルカスが見えます。四天王寺の参道沿いのお店は結構賑わっていました。
四天王寺は、ちょうどお彼岸の人出と、そのを目当ての露天で賑やかでした。
露天では、日用品から、古着や古物まで多種多様な物が売られており、昔から庶民の生活と密着したお寺なんだと感じました。
さすがお彼岸のイベント中なので、参拝に来ている人たちの殆どが高齢者でした。右を見ても左をみてもほぼ渡したりより年配に見えます。近所はもとより遠くからも来られている信心深い人たちだと思います。
四天王寺を抜けて、天王寺駅までいく参道には、お参りを終えた高齢者で大混雑でした。
歩道は身動きできないほどで、よくもこれだけの人がここに集まったなと言うぐらい普段と違います。そして、また歩いている年配の方々が元気なんです。ある意味若い人たちとは違った活気を感じます。
昼食は、天王寺駅近くのお店ですましました。ネットでチェックしていた居酒屋で、ランチを提供しています。
メニューに引かれて穴子丼を注文しました。が、チョット残念でしたので詳細は語りません。
気を取り直して、午後のお散歩をスタートします。
午後は、近鉄阿倍野駅から、阪堺電車の線路沿いを南下します
春の心地よい日差しを浴びながら、歩道を南に向かってぷらぷらと歩きます。
街道の所々に、「熊野かいどう」と書かれた道標が設置されています。
松虫の交差点から、斜め右にはいり、遠くからの幼子の歓声が時折聞こえてくる閑静な住宅地の道を進んで行くと、左に阿倍王子神社の鳥居が見えてきます。
鳥居から本殿に続く石畳は掃除が行き届いていて、とても綺麗でひっそりとした神社です。
石畳沿いの立派なご神木は、厳かな気分にさせてくれます。
阿倍野神社からさらに南へ向かうと、北畠あたりから帝塚山にかけて大きな家(お屋敷と言って良いぐらい)が目につき始めます。
街道沿いには、おしゃれなカフェやケーキ店が目につき始めます。ここは古くからの大阪の高級住宅地です。
万代池を過ぎ、南海電車の東住吉駅から西へ向かい住吉大社に到着です
南海電車の東住吉駅が見えてきたあたりで、ようやく住吉大社まで来たぞと実感出来ます。
あちらこち、写真を撮りながらゆったりと歩いてきたので、住吉大社まで9km程歩いていました。
住吉大社には初めて来ました(1年半前まで、堺東に住んでいたのに来たことが無かった)。(・o・)
これほど規模の大きな神社だとは思っていなかったので驚いたのと同時に、社の作りに厳かな空気感が伝わってきて、神社の歴史的な価値を感じることが出来ました。
それに、当日はインバウンドを含め、観光客は少なくて、さらにゆったりとした空間を満喫する事が出来、心癒やされました。
住吉神社を満喫しいよいよ復路ですが、すでに高齢者夫婦はふくらはぎに違和感がきています。
歩いて帰ろうという気力は失せていたので、今回は無理をせず、阪堺電車の住吉鳥居駅から恵美須町行きの路面電車に乗りました。
車窓からの景色は、町中をゆったりと走る路面電車独特なもので、歩きの時とはまた違った楽しさがあります。
車内で、歩かないで良いという安心感と幸せ感、そして歩いたという満足感に浸りながら、疲れたふくらはぎや腰を労ることができました。
終点の恵美須町から、オタクで混雑している日本橋を突っ切り、自宅まで徒歩で帰宅しました。
(2019/04/09に加筆しました)